福岡県市民教育賞

一般社団法人 地域企業連合会 九州連携機構

地域社会教育賞 受賞

きりん文庫かすが 主宰 徳永 明子 氏

活動を始めたきっかけ

 末息子が義務教育を終えて高校に進学しようとしていたころ、母親の私も自分の今後の生き方について考えるようになっていました。妻・母・嫁という家庭の中での役割以外に、何か自分らしいことができないものかと思案していたとき、偶然出会ったのが「子ども文庫」の活動でした。一九六五年、まだ図書館の設備が乏しかった時代、児童文学者の石井桃子さんが書かれた岩波新書『子どもの図書館』の発行がきっかけとなり、全国に大小さまざまな子ども文庫が生まれ、「子どもに読書の喜びを」を合言葉に〈子ども〉と〈本〉を結ぶ活動を行うようになっていましたが、そうした活動に憧れつつも周囲の事情で諦めていた私にとって、「ムーシカ文庫」との出会いは、まさに幸運としか言いようのないものでした。
 もともと本が大好きで、三人の子どもを育てている最中にも子どもの本の世界には関心を持ち続けていましたので、実際に文庫に関わるようになると、あっという間にこの活動のとりこになってしまいました。ここで私が学んだ最大のことは、子どもたちに読書の楽しさを伝えるには、文字を読むことを奨励するより、絵本の読み聞かせやお話を通して、耳から本の楽しさを味わってもらうことがいちばんの近道だということでした。このことは、現在まで文庫活動を続けてきたエネルギーの原点になっていると思います。

家庭文庫を始めたころ

 子ども文庫の活動に関わって三年ほどが経ち、多くの子どもたちと接するうちに、自分の住む地域の子どもたちにも、耳から聞く言葉の楽しさを通して「本」の世界の素晴らしさを届けたいと考えるようになりました。まずは生協仲間の若いお母さん方に呼びかけて、毎週の生協の配達の日に、就学前のお子さんたちに絵本を読んであげることから始めましたが、日ごろから顔見知りの子どもたちだけに、その日を楽しみにして集まってくれるようになり、そこを母体として「きりん文庫」がスタートしました。最初は私が子育て時代に集めた手持ちの本を使って一人でやっていましたが、参加者が増えるにつれ、個人の営みでは手に余るようになってきたので、杉並区の家庭文庫として登録、図書館の団体貸し出しや文庫育成事業の支援を受けるようになりました。また、小学校のPTA時代に子どもの本の情報交換をしていた友人が手伝いを申し出てくれてスタッフが二人になり、本格的に文庫活動を始めました。この時期は、本の貸し出しにも読み聞かせや物語を楽しむ「おはなし会」にも、子どもたちとの間にいきいきとした交流があり、いま思い返しても嬉しくなるような、「子ども」と「文庫」との蜜月時代だったような気がします。

時代の流れとともに

 日本の社会にいろいろな意味で翳りが見え始めたころ、文庫の子どもたちにも少しずつ異変が起こり始めていました。一部の子どもたちの、言葉をを聞いたり話したりする態度に、何かこれまでになかった違和感を覚えるようになったのです。やがて気がついたことは、テレビやビデオやファミコンなどの普及で親子の会話が少なくなり、それが子どもたちの言葉の発達にも大きな影響を与えているのだということでした。従来子ども文庫活動では、子どもたちに読書の喜びを伝えることを目標にしてきましたが、それ以前に人間として身につけるべき言葉があること、言葉の基礎力は、幼い頃に身近な環境の中で人の声によって養われるものだということなどに気づかされたのです。
 そんなこともあって、春日市で始めた「きりん文庫かすが」では、赤ちゃんやお母さんも文庫に参加してもらうようになりました。19一九九八年からは場所と時間を定めて「赤ちゃん文庫」を開き、現在は〇歳児と一~三歳児の2組に分けて「わらべうたとえほんの会」を行っています。言葉の話せない0歳のときにこそ、たっぷり楽しい歌や絵本を味わい、言葉を聞く喜びを知ってほしいと願うからです。幸いこの文庫で出会った子どもたちは、本が好きで感性の豊かな小・中・高生に育っており、お母さん方も読書ボランティアになられている方が多く、これは文庫の「成果」といえるのではないかと思っています。

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きりん文庫かすが 主宰
徳永 明子 氏

1934年生まれ。うきは市出身。東京在住中の1981年練馬区の「ムーシカ文庫」(児童文学者いぬいとみこ氏主宰)の世話人となり、1985年杉並区の自宅で家庭文庫「きりん文庫」を開いて子ども文庫の活動を始めた。1994年福岡県春日市に移転後も「きりん文庫かすが」として活動。現在は地域の公民館で赤ちゃんから大人までを対象にした文庫活動を行いつつ、地元の図書館、小・中学校、保育所などで読書ボランティア活動を行っている。