| 横 山 |
小さい頃の今給黎さんはどんなお子さんでしたか?
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| 今給黎 |
野山を駆け回り、浜辺を駆け回る暴れん坊ですね。ガキ大将でした。
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| 横 山 |
女の子でガキ大将ですか?
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| 今給黎 |
体も大きかったですし、川に行くよ!とか、裏山に行くよ!ってやっていました。 |
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| 横 山 |
ヨットとの出会いは中学の時と聞いていますが。
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| 今給黎 |
父が小学校5年の時に亡くなって、それを機に田舎から鹿児島の町の住宅街に引っ越しました。その時は、近くの子どもは自然の遊びを知らないし、海で泳ぐといっても遠かったので、檻の中に入れられた猛獣みたいな感じで、欲求不満でした。ですから、本の世界でヨットや自然、自由を楽しんでいました。
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| 横 山 |
どういう本を読まれたのですか?
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| 今給黎 |
16歳のアメリカの男の子が親たちに応援されながら、4年かけて、一人で世界一周するという「ダブ号の冒険」という実話です。中学2年の時に読んだのですが、とても心惹かれました。その時はそれだけではなく、砂漠に行くとか、南極や北極に行くとか命をかけた冒険ものの本が大好きでよく読んでいました。
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| 横 山 |
お父さんはどんなお父さんでしたか?
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| 今給黎 |
こんな人が先生だったらいいなという人でした。子どもの教育を型にはまらずに考える人で、海に行くと、おもしろいものを発見して教えてくれて、山に行ったら、木の実や石ころを遊び道具にしてしまうという、遊びをたくさん教えてくれる人でした。
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| 横 山 |
お父さん自身が自然に関心があったのですね。お母さんはどういう方でしたか? |
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| 今給黎 |
母は、厳しいですね。父が亡くなった時も私達の前では涙ひとつ見せなかったですね。人間は一人なのよって自分に言い聞かすようにずっと言っていました。
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| 横 山 |
世界一周の時は反対されなかったのですか? |
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| 今給黎 |
しなかったですね。死ぬときは死ぬのよって(笑)。自分の責任だからがんばりなさいって言ってくれました。ただ、心配はしていたようで、その時母は、60歳でしたが、無線の免許を取って、無線で毎日コミュニケーションをとっていました。
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| 横 山 |
お母さんはずいぶん意欲的な方だったんですね。理想の教育者であるお父さんと、少し厳しいお母さんに育てられたのですね。他に両親以外で影響を受けた人はいらっしゃいますか?
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| 今給黎 |
何人もいますが、私が10代の時、65歳で一人でアメリカから海を渡ってきた日系2世のおばあちゃんがいました。自分の両親が生まれた鹿児島というところに、自分の力で行きたいと言って、大学の講座でヨットを習い、それから1年してヨットを買ってやってきたのです。その人と会って、いろいろな話をした時は、すごいなと思いました。そして、もう私の夢は叶ったと言って、ヨットを売ってアメリカに帰っちゃったんです。私がアメリカに行った時に訪ねて行ったら、今度は、「今は、自分の作品を全米の美術館に入れるという新しい夢に向かってがんばっているの」と言って、彫刻を一生懸命やっているのです。切り替えの早さもすごいと思うし、まっすぐな志の持ち方は、かっこいいですね。 |
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| 横 山 |
その生き方を見て、かっこいいなと思われる今給黎さんの気持ちの持ち方もすばらしいですね。
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| 今給黎 |
ああなりたいと思いました。もし、ヨット以上のものがでてきたら、スパっとヨットをやめることができたら、最高だなと思います。なかなかこだわるところもあるし、難しいでしょうが(笑)。
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| 子どもに夢と体験を! |
| 横 山 |
今の子ども達は元気がないと言われていますが、どう思われますか?
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| 今給黎 |
子どもそれぞれだと思いますが、自由に発言もできないし、行動もできないという制約の中に子ども達がいるなというのは感じますね。私の年齢は親の年齢です、この年代も枠の中にピタッとはまっている。私たちの時代が管理社会の始まりです。もう少し年代が上の人たちが、もうちょっと自由に遊ばせてあげてよと言っても、親は戸惑う。管理されてきたので、わからないのです。ですから、親の年代を自由にしなければ、子ども達も自由にはならないと思います。
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| 横 山 |
親の世代の発想の切り替えは難しいでしょうね。
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| 今給黎 |
管理教育をまともに受けてきた私達の年代は呪縛にかかっているのです。今、親の世代に子どもをどうにかしろというより、昭和30年代までを自由に生きてきた人たちがもっと発言すべきだと思います。もっとこんな世界もあるのだと教えてほしいですね。
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| 横 山 |
福岡県では麻生知事が中心となって「青少年アンビシャス運動」というのを進めています。私も委員長としていろいろ活動をしていますが、遊ぶことすら、地域の人たちが意識的に進めないとできなくなっています。放っておいたら遊べないのです。何をしていいかわからない。親もピンとこないようで、切り替えができない。
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| 今給黎 |
昭和40年生まれ以降からは、難しいだろうなと思います。原体験がないのです。今の親の年代はコンクリートや柵の中で生きてきて、原体験がないのに、この状況をどうするの?と言われても、異を唱えることもないと思います。
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| 横 山 |
今60代、70代の人が、このままじゃいけないと言っています。
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| 今給黎 |
ですから、未来のためにその年代の方々にがんばっていただきたいし、自分の原体験を示してほしいですね。「昔、こんなのがあったよ」と示すだけでいいと思うのです。
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| 横 山 |
その人たちは自信がないのではないかと思います。時代の流れがあまりに早すぎて、若い世代から古いと言われたりするために。ただ、今、言われたことはとても大切なことだと思います。
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| 今給黎 |
多くのことを教えていただきたいなと思いますね。
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| 横 山 |
最後にこれからの夢はなんですか?
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| 今給黎 |
夢は、海がテーマになってくるのですが、誰でもが遊びにいける海を応援していけるような活動をしたいと思っています。各地域の人々と「海の学校」というのを進めようとしています。地域の海を地域の人がすばらしいと認識してもらうために、よそから人を招いて、そこで体験をしてもらう。地元の漁師さんが釣りの先生になったり、地引網をしたり、料理はおばちゃん達が教えてくれるというのをやっています。海の学校の校長という偉そうな肩書きをもらって、楽しんでやっています。
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| 横 山 |
そこには、お父さんの影響もありそうですね。
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| 今給黎 |
そうですね。あとは原体験ですね。
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| 横 山 |

<聞き手>
市民教育賞実行委員会
委員長
横山 正幸 氏
(第一福祉大学
人間社会福祉学部 教授)
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福岡県は子どもの成長・発達における体験の大切さについてこれまでも全国に向けても発信しています。本日のお話をお聞きし、子どもたちのために「遊びの提供」や「場づくり」をしていきたいと改めて思いました。ありがとうございました。
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