我が社は病医院経営のトータルサポートをする会社でございます。医療機器のリースから始めて、経営コンサルティングや調剤薬局ほかにも事業を広げ、現在、拠点は全国に300以上、従業員は正社員だけで約2000名おります。今年の春は、薬学部の6年制への移行に伴い、薬学部の卒業生がいませんが、それでも約100名の新卒社員が入社いたします。良い人生を送るための就職先として、彼らは我が社を選んでくれたわけですから、当社に在籍することに誇りと使命感を感じ、会社の将来に確信を持ってもらうことが必要です。ですから、新入社員に対しては、入社してすぐに良い人生、良い会社、良い社会のそれぞれについて自分で考えさせ、理解させ、発表させるということをやらせております。
逆に言いますと、我々にも彼らを我が社に惚れさせた責任がございます。経営陣は一瞬たりとも個人の人格、能力、仕事に対する姿勢を、彼らから疑われてはなりません。会社を私物化しないために、親戚や身内の採用・取引は一切なしですし、政治・行政とも健全な距離を置く。そして、聖域を一切作らない。例えば役員のスケジュールはすべてオープンにしますし、保養施設の利用などについても、公明正大に公開抽選で行います。こうしたルールを破ったら、減俸などの処分をします。役員もルールを徹底的に守りますし、守らざるを得ないシステムにしております。
また、会社を運営していくための判断基準は、損か得か、正か邪か、善か悪かの三つです。単に損得だけで判断せず、人間としてやっていいことかどうか、そして世のため人のためになるかどうかということです。特に調剤薬局の仕事では、どうしても調剤過誤が起こります。それを減らすために、我が社は何か起きたら、確認できてなくてもすぐに報告させます。報告しなかったら厳罰。報告したら、その後は会社が表に立って、すべてに責任を持つという体制にいたしました。言い換えれば、嘘をつかない、逃げない、ごまかさない、とにかく正直にやるということです。これは結局、いい人生を送るための基本だろうと思います。
現在は、全国に拠点が増えておりますので、拠点を仕切ることができる人間の育成が急務です。私どもは、彼らに今言ったようなことを気づかせるのに、勉強会をやって古典を学ばせております。例えば、君子と小人。拠点長の方々は、やはり君子でしょう。小人というのは、つまらない人ではなく普通の人々であって、我が社で言えば一般社員だと捉えております。「君子は義に喩り小人は利に喩る」という言葉が論語にありますが、君子の判断基準は、会社が大切にしている義と、個人の利のバランスである。人間にはどうしても自分の気分の良さ、居心地の良さを優先してしまうことがあるが、そこをきちんとコントロールできる人間のことを君子というんだ、というふうに、勉強会ではできるだけシンプルに、そういう話をしております。
それで、人間はよく、自分が、自分がと言います。その「自分」という漢字にきちんと意味をつけると、「自」というのは、いわゆる自我、自己、本能のことですね。自分中心の本能、好き嫌いとか、感情の部分です。それから「分」は、例えば日本人としての分、我が社の社員としての分、どこどこ支店、どこどこ薬局の構成員としての分、何々家の主としての分、そういう分。これを我々は理性という言い方をしております。つまり「自」が本能、「分」が理性です。では仕事とは何ぞや。これは自我を満たす場ではない。分を果たす場だ。だから「自」を会社に持って来られたら困ります。家を出てくる時に、パジャマと一緒に置いてきて下さいということで、社員には理解させております。特に入社の段階では何回も何回も繰り返し、潜在意識にしみ込むまで言いますので、我が社の全社員がこの言葉を知っております。
ジェームズ・アレンという方がお書きになった『原因と結果の法則』という本があります。その本の中でアレンは、私どもが言う「自」と「分」を、低次の自我、高次の自我という言い方をしております。結局、何かトラブルや問題が発生する時というのは、「自」が表に出る時です。君子や偉大な人物は、それをコントロールできる。自を優先する自己中心の対極は自己犠牲です。自分のことは後回しでいいという人物は、間違いなく尊敬されます。清水の次郎長然り、太公望呂尚が周の武王に説いた、全軍を奮起させることのできる将の三つの「恕」然り。私は、リーダーとは自己を犠牲にできる人のことだと考えております。
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