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九州大学は、この平成21年4月に統合新領域学府ユーザー感性学専攻という新大学院を開設する。概要説明書やリベラルアーツ講座のパンフレットによれば工学・芸術工学・人間環境学・心理学・医学・農学・情報科学等、学問の細分化によって生み出された膨大な知を再編成し、「知の新世界を拓く」、まさに、知のフロンティアとして、人間そのものの理解を深め人間に密着した価値創造ができる人材を養成するという。知の活用主体であるユーザーの視点に立った人間理解の上に、それらの存在の根っ子の部分で息づいている「感性」を通じ「人間」として根源を問うていく。
私の認識によるとヒトの「感性」を入口にして人間の「本質」に迫るための哲学的アプローチではないかと思う。
この新大学院の研究戦略拠点として平成16年設置されたユーザーサイエンス機構の総括的シンポジウムが去る2月6日福岡のイムズホールで開かれ、プロダクトデザイナーのムラタチアキ氏やスピングラス・アーキテクツの松岡恭子さんが出演され、デザインの完成後、その作品が新しい役割を創造し、想定された機能より進化したものとなるという、まさに、新大学院のめざすコンセプトを導き出す内容となり深い感銘のひとときを過し、大きな幸福感を抱くことが出来た。
ただ、懸念されることもクローズアップされたような気がした。そのひとつは、主要プログラムの「英語」授業。一見、レベルの高い授業プログラムと見受けられるが、その目的が「感性」を磨くことであれば、「感性」は何によって育まれるのかという土台を無視してはいないだろうかという疑念が涌いてくる。人は「言語(母国語)」によって思考する。雪国には雪にまつわる言葉が多いように感性は「言語」と「風土」によって鍛え磨かれる、という事実がある。英語で感性を語ることは、まさに「場」違いという感をぬぐえない。大海にタイを釣りに行ってイワシの針をつけるようなものではないか。
もうひとつは、修了生がこの経験を自分の進路にどう活かすかという点であるが、大学側の想定のスケールをもっと雄大なものにして頂きたい。極論すれば、修了した者が何をめざそうと勝手という開き直りが大事ではないか。「30年先の実績をみてくれ、100年先の歴史をみてくれ」「何をめざそうとスケールが違う」とうそぶき、敢えて着地設定無しということも面白いのではないかと考える。人間、評価を得ようとすれば、どうしても目線が下がり考えや行動が小さくなる。新しい領域であれば尚更、果すべき目的の本質を直視し、チームを組んだ時代背景とメンバーの志を信じ、開き直ることも必要なことではなかろうか。それが新大学院統合新領域学府に求められるスケールではないかと思う。
前置きが長くなったが、九州大学の新大学院設置は、そのままわが国の政治改革の必要性や緊急性とも相通じるものがある。時代の変化へ対応して、求められるものを明確にして組み立てていくこと。目先の評価ばかりを気にせず、時代を創造していくという政治の本質的役割を忘れないこと。最も大事なことは自らの志と使命に立脚してコトに当たることである。目的を越えた役割を果たし得る「突き抜けた政治デザイン」がそこに提示されんことを期待したい。
話題となった定額給付金の問題にも一応結着をみて全国に先駆けて給付した自治体も出始めた矢先、政治献金の問題で騒然となる政界。見失われた政治の本質、忘れられた政治家の使命。100年に一度と言われる米国に端を発した経済不況のド真中にあって100年に一度の人材不況。大海の荒野に弄ばれる小船にも似て、まさに操縦不能の感もするが、寄港する目的地をしっかりと見据えて前進し続けなければ日本丸は沈没する!指導者に覚悟が求められる時代となった。
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